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日本ギター史

日本のギター歴史は、明治32年比留間賢八氏が欧州留学から帰国し、明治38年ごろから学習院、東京美術学校、慶応、同志社大学にてマンドリン、ギタークラブを発足させた頃からはじまったと伝えられています。その後、大正時代に入り、マンドリンオーケストラが、他の大学や同好家達の間で増えてきました。しかし、ほとんどが合奏用、伴奏用で独奏楽器として価値は見出されていませんでした。

昭和に入った頃F.タレガ(近代ギターの父と称された)の高弟M.リョベートの弟子M.L.アニードの来日、そして、昭和4年、ギターの神様と云われたアンドレス・セゴビアの来日公演によってギター音楽ファンにセンセーショナルが起きる。しかし、直接に手ほどきをしてくれなかったことと当時の日本の音楽レベルと差が有り過ぎて素晴らしさと共に焦燥感が残り、それは戦後まで引きずっていったと記されています。(小原安正著「ギタリストの余韻」より)


その後、先人のギタリストたちの血のにじむような努力が受け継がれ、日本のギター技術のレベルは、急激に進歩してきましたが、その一方でギター本来の「音」を大切にするあり方が二の次になってしまったように思います。そういったものを補うものとして今まで解き明かされなかった、巨匠たちが身につけている「重心移動」による奏法がここに来て解かれようとしています。


がむしゃらに練習努力しても、脱力や美しい音が得られるわけでもなく、間違った道に迷いこんでしまいます。その為にけんしょう炎を引き起こし、素晴らしい音楽とそれを引き出すギターの魅力から遠のくばかりです。
そういったことのないようにまず基本が不可欠です。
その第一歩は、親指の正しい弾き方を覚えることです。

その訳は 西洋音楽の基本は低音と和声進行に因ります。
最初に旋律(メロディー)に耳が傾きいてしまいがちですが、実は旋律(メロディー)は低音の倍音(響き)に乗っていることがよくあります。ゆえに低音をしっかり響かせられるようになることが、旋律を上手に歌わせることにも繋がります。
それを実行するには、腕と一体に動かす指の動きが不可欠です。さらによい音を得ること同時に消音技術も大変重要です。これを一緒に行わないと協和音と不協和音、倍音関係が耳で聴き分けられるようになりません。


次に左手の押さえ方です。
最初は、親指で他の指で挟む押え方から親指で挟まないで押さえる=関節固定利用と腕の重みを駆使した方法(上下と左右動作)を適宜に使い分けること。
これらを上手に使い分けることでセーハが楽に行えるようになったりスラー奏法の音量が増します。
また、上手なヴィブラートも掛けられるようになりギターを歌わせられることに繋がります。
これら両手を音楽の流れに一致させていく。よく聞き、よく歌う、心と身体を一体にしていくことが大切です。才能でなく日々の積み重ねによって上達していき趣味の方でもプロの技と得ていけるようになります。

さらに、指の弱い方やけんしょう炎を起こした方も指の正常化に向かっていきます。
どうぞ本質を身につけていってください。

その先に、道は開けていきます。

初心者の方大歓迎です。

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